「教育」のオルタナティブとしての「学び」の可能性についての一考察

                                        
 柳下 換

序章

1.研究の目的
2.研究の意義
3.研究史

第1章 「学び」の変遷

1.科学的な認識の方法
2.デカルト的考え
3.「教育」と「学び」との違いについて
4.「学び方論」と「教育方法論」の違い
5.ヨーロッパにおいて、educationが「教育」となってしまった理由
6.日本の教育に対する欧米教育の影響
7.形而上学と教育の関係
8.社会の近代化と教育の関係
9.近代化と教育化の関係
10.機械化と教育化の関係
11.「学び」の変化

第2章 オルタナティブ教育の試み(脱国家教育の試み)

1.もう1つの学びの場系譜(オルタナティブ教育)
2.ヨーロッパを中心とした学校という形態の歴史
3.日本の学校形態の歴史
4.新教育(自由教育)の歴史
5.オルタナティブ教育の流れ
6.1980年代以降の日本のオルタナティブ教育

第3章 オルタナティブ教育としての実践例として−「鎌倉・風の学園」高校−

1.経緯
2.教育理念
3.教育の目標
4.学習方法(通学コースのテクニカルコースを中心にして)
5.総合的テーマ「自由」「自律」「平和」について
6.教員の役割
7.評価

第4章 オルタナティブ教育の定義化を通じて考察をしたオルタナティブ教育観

1.教育理念・学習目標
2.学習観
3.学習方法論

第5章 「教育」のオルタナティブとしての「学び」の可能性について

1.本来のオルタナティブ教育とは
2.日本のオルタナティブ教育の可能性
3.「オルタナティブ教育」と「教育のオルタナティブ」の違い
4.「教育のオルタナティブ」としての平和学習
5.「教育のオルタナティブ」としての平和学習リソース「沖縄」の価値
6.「学び」の可能性について

おわりに

参考文献



序章

 
1.研究の目的

 筆者は1983年より、いわゆる学校外の学びの場という領域をフィールドとして活動をしてきた。未だその定義は曖昧ではあるが、言葉としては一般化しつつあるオルタナティブ教育という領野における活動の経験である。日本において、筆者が活動をしてきたオルタナティブ教育という領域が注目しだした背景には、1960年代以降の日本の高度成長時代、すなわち第2次世界大戦後の日本における資本主義社会の発展というものが関係をしている。

 戦後日本の経済的発展を支えた要素の1つとして、戦後の教育政策は無視することはできない。戦後日本における教育の目的は、戦前のような臣民を育成するものではなく、憲法ならびに教育基本法にもあるように、あくまでも「個人の人格の完成」を目指すものであった。しかし、その実際は、日本経済の発展を担う人材の育成であった。国家政策優先のそうした教育は、戦後の日本社会、特に青少年社会において大きなひずみを生むことになる。1960年代以降に日本においては、いわゆる教育の現場と言われる学校という場において、非行・学力不振・受験戦争・校内暴力・不登校・いじめなどという様々な問題を噴出させることになる。こうした現実は、教育の現場において否応なしに戦後教育の反省を強いられることとなる。反省の1つの形として、国家的な学力観の変更や学校における教授法やカリキュラムの変更・新規開発など、確かにいろいろな工夫が試みられた。しかし、それらの試みも先に書いたように、あくまでも戦後日本における経済的発展を下支えるための教育を補強するものでしかなかった。ある意味で対処的な改善でしかなかったわけである。このような戦後日本における制度疲労が原因であると思われる教育の荒廃は、それを有効的に止める術がないままに転落し続けることになる。

 1980年代初頭より上述したような教育現場に身を置いていた筆者は、日本の教育界における構造的な問題に対して疑問を感じ、日本の教育的問題を根本的に解決する方法を模索するため1983年には教職を辞して、地域における民間教育運動の中で活動を実施することとなる。その志は、まさに国家的教育観に属さない「もう1つの学びの場」を創る試みであった。この「もう1つの学びの場」を創る試みの実践は、筆者に様々な思惟の機会を与えることとなった。

 このような活動を通じて、「もう1つの学びの場」に相当する考え方が、欧米諸国にも存在することを知る。それがいわゆるオルタナティブ教育であったのだ。がしかし、筆者が模索をしていたある意味で、日本型オルタナティブ教育とそうした欧米諸国におけるオルタナティブ教育と呼ばれるものの間に違いがあることに気づくようになる。その違いは、特に1990年代以降、急速に紹介をされだしたアメリカにおけるオルタナティブ教育と呼ばれているものを知ることにより、より明確になる。確かに、アメリカにおけるオルタナティブ教育は、伝統的なプラグマティズム的な考え方をもとにした合理的な教育観であったが、日本的なオルタナティブ教育を想起していた筆者にとっては、すんなりとは腑に落ちないものであった。その何かが違うと思った点は、教育哲学というか教育理念の部分であった。

 その違いがより一層明確となるのは、筆者が1996年より開設運営し始めた「鎌倉・風の学園高校」における学習テーマの1つを「平和」としたことによってであった。筆者が考えるオルタナティブ教育と欧米、特にアメリカにおけるオルタナティブ教育との違いを決定的に意識することとなった事件が、2001年9月11日に起きたニューヨークテロ事件に対するアメリカという国の対応の仕方であった。つまり、日本人である筆者は、あくまでも日本国憲法に則って「平和」という考え方を基盤として教育を考えるのに対して、欧米諸国の言うところの「平和」とは、日本のような非軍事による「平和」ではないのである。この教育に対する根底的な考え方の相違は、決定的である。確かに日本国憲法そのものが、国家規定、すなわち日本の資本主義国家という枠の中に存在をしているのであるから、その平和観に準じた教育も、ある意味で国家的な教育の一環であると見られてしまうのであるが、そもそも「教育」そのものが欧米から輸入されたものであると見れば、欧米における教育の前提は、全て非軍事ではありえない。ゆえに、他に類を見ない憲法により非軍事理念の上に立った日本の教育観は、戦後の世界におけるオルタナティブ*1であると言える。そうした本来オルタナティブであった日本の教育を様々な角度から見直し、国家の教育という枠から離して、教育の独立性を高めたらならば、それは「教育のオルタナティブ」となる可能性を秘めたものになるのではないかと筆者は考えたのである。

 振り返るに、1983年より筆者が悪戦苦闘しながら試行錯誤してきた実践は、まさに「教育のオルタナティブ」を探る旅であったと言える。そこで、本論では、前述したような筆者の20年間における制作的実践*2をもとにして、「教育のオルタナティブとは何であるのか」という問いかけと、「教育のオルタナティブを具体的に展開するための展望」を明らかにすることを目的とした。


*1オルタナティブ(alternative):代替案、代替手段、伝統にとらわれることのない代わりとなるもの、選ぶべきもの。以上のように英和辞典・現代用語辞典などでは、言葉の意味としての説明は記載されているが、本論において筆者が想起をしているようなイデオロギーとして、オルタナティブという言葉を具体的に定義をしている辞典などは、現時点では、見つけることはできなかった。しかし、実際には欧米であれ、アジアであれ、20世紀後半より、第3の選択肢という考え方は存在をしており、各分野における、そうした伝統にとらわれない新しい考え方のこと全般を「オルタナティブ」という言葉で表現をしている。
*2制作的実践という言葉を構成している「制作」・「実践」という2つの言葉の意味を解説するとすれば、「制作」とは、物を作る意味での制作ではなく、もう既にある意味を持って生起しているものを現出させることを言い。「実践」とは、制作する行為、そのもののことをさす。ゆえに、制作的実践とは、「制作」と「実践」という対概念ではなく、存在の意味を明らかにするための一環的行為である。


 
2.研究の意義

 本研究の意義を考えたとき、その意義は大きくわけて3つあると思われる。
 まず1つは、もし、現在行われている国家的な教育が、日本において一般的に言われているように「荒廃」したとか、「転落」したとかという状態なのだとすれば、そもそもその荒廃の根源的な原因はどこにあるのか、また、荒廃してきた過程はどのようなものであったのかを明らかにする必要があると思われる。すなわち意義の1つは、今日の国家的な教育の荒廃のプロセスを明らかにしたことである。次に、本来のオルタナティブ教育とはどういったものであるのかという点を、日本人という立場から見て新たに定義し直したことである。そして、最後に、「教育のオルタナティブ」として日本のオルタナティブ教育をより発展させるための方法論を「沖縄」という素材を活用して、より具体的に展望した点である。


 
3.研究史

 研究の目的、意義の論述からもわかるように、非軍事理念に立った「教育のオルタナティブ」を模索する制作的実践の試みは、今のところ世界に類がない。さらに非軍事理念に立つ日本において、「脱・国家的教育」の立場で試みられた制作的実践はない。そして、日本における「教育のオルタナティブ」の制作的実践を「沖縄」という学習リソースをもとにして展望した論文を筆者の知るかぎりでは見つけることができなかった。以上の点を鑑み、大それた表現ではあるが、本論は日本における教育のオルタナティブを探る新しい研究史の始まりであると言えるのかもしれない。

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